1995年のおとぎ話 シンデレラストーリーの考察 華原朋美

2020年4月から浜崎あゆみさんのドラマ「M 愛すべき人がいて」が放送されるそうです。

そこで、同じ時代に活躍したもう一つのプロデューサーとの物語、小室哲哉さんと華原朋美さんのシンデレラストーリーを、あの美しい旋律を思い出しながら考察していきたいと思います。

普通の女の子からシンデレラへ

2017年TBS系『マツコの知らない世界』で、小室哲哉は「華原さんはとにかく、マライア・キャリーになりたい。マライア・キャリーが好き」と紹介したうえで、「彼女のシンデレラストーリーみたいなところを作ってあげよう」との意図をこめていたと語った。

さらに、華原の“セレブ感”の演出のため、PRADAやGUCCIなどハイブランドの洋服を採用していたとし、「絶対にそこは落とせなかった」のだそうだ。

『I’m proud』では、イントロにヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスなど様々な楽器が、壮大に音を奏でている。

小室は華原を通じて「元々、普通の女の子なのに、意図せず規律の外に出てしまった女の子」「自分に自信が持てず『どうせ自分なんて』とため息をつく、そんな若者の切なさ、やりきれなさを表現したかった」としている。

1990年代、華原朋美は「遠峯ありさ」という芸名で芸能活動をしており、ある深夜番組でレギュラー出演していた。

その姿に小室が興味を抱いたことがきっかけとなり、打ち上げで二人は初めて出会う。

その時小室は20~30人のブレーンを従えており、「なんでこんなにブレーンがいるの」が小室への第一印象だったらしい。

華原は「この時、私はすでに彼に恋をしてしまったようです」と後に本で語っている。

小室は初めて華原の歌声を聴いた時に、声質や音域の高さに涙を流して感動した。

それから彼女の生い立ちや夢を聞き出し、「僕が君を歌手として育てたい」と言った。

普通のかわいい女の子が、いきなりエンタメシーンの中心にかつぎ出される。

海外ロケをはじめとする豪華なMVはもちろん、スタイリングやメイク、野口強やソニア・パークといった一流のスタッフからのバックアップを受け、どんどん洗練されていった。

まるでお城の階段のようなスター街道を、華原朋美は一気に駆け上がっていったのである。

ここからは考察になります。実際に曲を聞いてみると、もっと色々な物語が隠されているのかもしれません。

CDシングル曲とシンデレラの12時の鐘

小室プロデュース、CDシングル13曲を通して1つの物語になっている。

12曲目で12時の鐘が鳴り魔法がとけ、13曲目で電車に乗る普通の女の子に戻る。

12th “here we are” 

鐘を鳴らして そしてみんな どこへ向かう?』

◆13th “daily news”

『くり返し くり返し 毎日電車に乗っている』

『昨日までは奇跡なんて信じなかった 明日からは自分が動かなきゃ何もない』

普通の女の子の日常だが、奇跡を覚えていて成長している姿を現している。

タイトルのダブルミーニング

◆keep yourself alive(デビュー曲)

イギリスのロックバンド『クイーン』のデビュー曲と同じタイトル

→クイーン=女王=シンデレラ

◆hate tell a lie(シングル6曲目)

タイトルを直訳すると「嘘をつくのが嫌い」

しかし「hate tell a lie」は、hate(嫌う)のあとに原形の動詞 tell が続いているので英語としては誤りである。正しくは「hate telling a lie」または「hate to tell a lie」である。

2つの意味に取れるようにした→「憎い、嘘つきが」「嘘をつくのが嫌い」

PVは黒く日焼けした「黒朋(くろとも)ちゃん」と白肌の「白朋(しろとも)ちゃん」という対照的な2人の華原が共演する演出がなされている。

『なんだかね 1日終わるとね 振り出しに戻ってる気がして』という歌詞と、シンデレラのイメージとは矛盾する、日常に戻ったような電車に乗って歌っているシーンがある。

嘘をつくのが嫌いなのに『let me do one more(もう一つさせて)』という矛盾した歌詞。

◆tumblin’ dice(シングル11曲)

tumblin’ diceとは「ダイス(サイコロ)を転がせ」という意味で、「いちかばちか勝負に出てみろよ」という意味がこめられている。

ローリング・ストーンズのシングルと同じタイトル

→どこまでも「転がる石」のよう。シンデレラ城が崩れていく様子。

3rdアルバム曲”needs somebody’s love”より

『1人が良くって 家族を離れて 2人が良くって あなたと住んで いったいどこまで石は転がっていくのかな?』

3枚のアルバム「LOVE BRACE」「storytelling」「nine cubes」

小室は華原については楽曲の全自作と完全プロデュースを貫いている。

◆1st、2ndアルバムでの華原朋美のビジュアルはハイブランド・スタイリッシュ路線でプロデュースされている。アルバム自体もモノトーン調で高級感がある。2枚ともラブブレスというキーアイテム、2人の姿が登場している。

◆2ndアルバムの表紙は、喧嘩している・もしくは落ち込んでいる様子、裏は仲直りしてる様子。2面性がある作りになっている。

◆3rdアルバムではこれまであった小室と華原連名のボーカル表記が無くなっている。前2作で一緒にいた小室の姿やラブブレスは無い。

ハイブランド路線ではなくなり、素に近い“甘い可愛さ”が全面に押し出されたパッケージ。女の子が好きそうなカラフルで可愛い雑貨が詰められたキューブ。

1st 2ndはオーケストラ調の楽曲があるが、3rdにはない。

◆アルバムの曲数

1stは11曲構成 →11時

2ndは12曲構成 →12時が訪れ魔法が解ける

3rdは10曲構成 →10時 1曲目が”daily news” 

時計の針が魔法がかかる前の時間に戻る

◆アルバム内のシングルの曲順

1stはシングルリリース順に構成されている 1→2→3→4 成長の過程 階段を登る

3rdはシングルリリースとは真逆の順番に構成されている 13→12→11 時が戻る

globeの歌詞とのリンク

◆Joy to the loveI BELIEVE

曲の完成後、小室はCM撮影のため、ニューヨークに滞在していたが、スポンサー側から急遽「曲を変えて欲しい」との異例の要望があった。

しかし、作曲後にスポンサー側から前の曲に戻してほしいと要望があり、結局元の曲を若干手直しして『Joy to the love(globe)』が採用された経緯がある。(1995年9月27日発売)

なお、この時に制作された新曲は、後に華原朋美の「I BELIEVE」として1995年9月8日発売された。

2曲とも恋の始まりを歌っている。2人のそれぞれの視点から描かれているのかもしれない。

Wanderin’Destiny

『あきらめるときは 足あと消していく わたしを忘れて かけらさえ何も 残らないように』(1997年10月15日発売)

別れが近づく頃、華原は小室と離れることを決意して荷物もそのままに同棲中の部屋を飛び出した。
その後、自分の荷物を取りに母親とその部屋に戻ると荷物がすっかりと片付いており、自身の服や写真などもすっかりなくなっていた。

小室が部屋にあるものを全部捨ててしまったのだ。(歌詞のような気持ちだったのだろうか)

小室から離れることを決心したつもりでも、それを見たら思いがあふれてしまい、華原はその場で大声を出して泣いてしまう。

あまりに激しく泣きすぎたためにその場で気を失い、気がついた時には病院のベッドの上だった。

◆sweet heart

1998年9月30日発売。この楽曲では『TKが見た悪夢』をテーマにプロモーションビデオが製作された。

歌詞に12時を思わせる部分がある。

明るい曲調とは反し、終わった恋愛を振り返る内容となっている。

『短い針と長い針が重なり合った頃また寂しさが』

『Heart sick 悲しい笑顔 静かに消えてゆく 静かに結末も』

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ここからは記事やインタビューに基づき書いていきます。

出会い

1995年のバレンタインデーに華原が告白してから小室との仲が深まったと2004年の鳥越俊太郎からのインタビューに華原が話している。

ふたりの交流はそれ以前からあったと思われるが、小室と華原が本格的に交際開始したと思われる1995年2月ごろ、華原はまだ20歳の誕生日から半年程度が過ぎた女性だった。一方の小室は36歳である。

小室は初めて華原の歌声を聴いた時に、声質や音域の高さに涙を流して感動した。それから彼女の生い立ちや夢を聞き出し、「僕が君を歌手として育てたい」と言った。

華原の両親の家まで赴き歌手への道を説得した。事務所も移籍し、遠峯ありさから本名の朋美とTKのイニシャルを掛け合わせた「華原朋美」に改名する。

ある日、華原が小室に案内されマンションに行くと、広い部屋に真新しい家具が置かれており、小室は「ここが二人の家だよ」と語った。

ここまでのことは、二人が初めて出会ってからなんとわずか1~2週間の出来事である。かなりの急展開であるが、小室の「僕を信じて」という言葉を華原は信じたという。

華原朋美のプロデュースを兼ねた交際を「フライデー1995年6月23日号に掲載された際、小室は同誌の記者を自身のスタジオに招き「アーティストに手をつけたのではなく、自分の恋人に曲を提供し、プロデュースを始めることにしただけです」と語った。

歌謡曲をベースにすること・宣伝では常に2人で出る等すべての活動に至るまで「公私共にツーショットでいく」ことにした結果、華原を大ヒットさせた。

小室は何よりも、華原の声質の素晴らしさに惹かれたという。

「倍音を沢山含んだ豊かな響きを持つ声。滅多にいない声で、その声で生まれて良かったと思って欲しい」

「上手い下手以前に、愛情や優しさといった、より広い世界観を声で表現できる」

「肺活量を初めとした基礎体力も申し分なく、滑舌も良い」と評している。

1990年代の小室氏の楽曲は譜割が非常に細かかったが、華原朋美は短い音符でも滑舌よく、息の音も、きちんと混ぜて発声することに長けていた。そのため小室は楽曲製作の際に制約を考えずにすんだ。

小室哲哉プロデュース時代(1995年 – 1998年)

詩をとても大切にしていた

“彼女の場合は、もうやっぱり僕としては詞なんですよ。もう本当に詞を大切にしてるつもりなんですよ。でも、最初の一曲目からやっぱり何気なくこういう話をしようかなとかではなくて、本当にそのままを、(華原から話を)全部を聞いて、でそれを自分で消化しきって、消化しきってやっと言葉が出てくるという感じだから、一曲に対する言葉の重みは自分としてはすごいある。・・・音はまあ、すごく生をたくさん使うようにして頑張ったんですけど、でも詞が一番大変でした、彼女の場合は。”

1996年5月22日放映・bayfm「ラジオのチカラ」より

”本格的に詞をちゃんと完璧に、聴く女の子が最初から終りまでわかってもらうように考え出したのは、やっぱり朋美くらいからですね。”

渋谷の内側にいる女の子をイメージ

“いまは、(中田)ヤスタカが原宿だとよく言いますけど、僕は渋谷でした。すべてが渋谷。駅前のスクランブル交差点だったり、公園通りだったり。ただ、渋谷が舞台でも、描く場所を歌手ごとに変えてましたね。生息場所をわけるというか。たとえば、安室さんは“109前”とか渋谷の表側を意識して、華原さんは、渋谷の“内側”。円山町のクラブの近くのコンビニの前でしゃがんでるとかね(笑)。”

マガジンハウス「GINZA」2017年4月号より

1. keep yourself alive

当時21歳 小室が立ち上げた新レーベル「ORUMOK」(KOMUROを逆から読んだもの)の第1弾アーティストとしてデビュー。

PVのパンダメイクや突き抜けるような高音が話題となり、初登場9位、最高位8位を記録。デビュー曲としては異例の37万枚以上のヒットとなった。

歌詞の内容は、華原朋美の20年間の生き様を小室哲哉が反映させたものである。

2. I BELIEVE

10月に発売した2枚目のシングル「I BELIEVE」は初登場7位だったものの、年明けには最高4位まで上り詰める。約半年に渡って上位にチャートインし続け、102万枚を超える初のミリオンセラー作品となった。小室哲哉曰く、絶対売れてほしかった曲であり力を入れた曲だと語っている

華原いわく「小室さんと私がこの先も2人で、曲を作っていく未来への気持ちを込めた曲」

3. I’m proud

デビューから半年後に発売された3枚目のシングル。前作に引き続き、ミリオンセラーとなり、自身最高の140万枚のセールスに至った。

楽曲自体はデビュー前に出来ていたが、歌詞に苦戦し「いちご」は華原の希望でりんごから書き換えられたものである。

制作にあたって小室が描いたイメージは「風と共に去りぬ」。

華原は「『keep yourself alive』『I BELIEVE』では『強さ』を歌っていたけど、今度は『強さの裏にある優しさ』を歌った。『他人に優しくなれる力強さを持ちたい』と思っている方に歌ってほしい」と語っている。

華原はトップアーティストとして一気に音楽界の中心に躍り出た。しかし、このジェットコースターのような状況は華原に相当なストレスを与えていた。

昼夜逆転の生活、多忙なスケジュール、取材攻勢から逃れるため自宅やホテルに閉じこもるようになった華原はこの頃から睡眠薬にも頼るようになり「不健康な生活」が始まっていたと2013年からのテレビとラジオ番組でも回顧している。

小室が「I BELIEVE」「I’m Proud」と名付けた楽曲をそんな華原に歌わせていたが、そのタイル通りに華原を曲を通じて励ます意味もあったのだろう。96年当時の華原はそう受け取って曲を歌っていたと当時の雑誌のインタビューで述べている。

1stアルバム LOVE BRACE

3枚のシングルの新バージョンを含んだ初アルバム「LOVE BRACE」は、デビューからわずか9ヶ月にも関わらず、当時の日本の初動売上げ最高記録に。最終的に257万以上の驚異的なセールスアルバムになった。

タイトルは小室が華原にプレゼントした”ねじを回さないと腕から外れないカルティエのブレスレット”に由来し、本作品はインストを含め映画が始まって終わるような極めて完成度の高い作品となった。

華原いわく「​小室さんから(ブレスレットを)もらった時にファーストアルバムの名前になったらいいなあと小室さんに呟いたら、本当にそうなった」

自分の中で、アルバムプロデュースという意味では、「I’m Proud」が入っている『LOVE BRACE』というアルバムが一番好きでしたね。最初の一音から最後の一音まで、とても大事につくった作品です。まさにタイトル通りプライドをかけていたアルバムですね。でも、このぐらいから世の中的には、楽曲よりも楽曲以外のネタで騒がれることが増えてきてしまったんですよ・・・・・。でも、そういった風潮に絶対に負けたくなかったんですね。音楽でちゃんと応えたかった。”
ぴあMOOK「TM NETWORK 30TH ANNIVERSARY SPECIAL ISSUE 小室哲哉ぴあ TK編 」より

華原はのちに公私ともにパートナーだった小室哲哉との“二人三脚”でブレークした95年当時を振り返り「愛が全てだった」と告白した。

「1位になることとか、CDがたくさん売れることは嬉しかったことなんですけど、何よりも一番楽しいって、本当のこと言ったら音楽に触れてない時間で、2人で一緒にいる時とか」と、当時抱いていた想いを口にした。

LOVE BRACEは4枚目のシングル曲としても発売された。

5. save your dream

持ち前の伸び伸びとした高音を活かした、特にキーが高い楽曲である。

この曲を歌っていた当時の華原は極端に痩せていて、体重30kg台であったと語っている。

6. Hate tell a lie

タイトルを直訳すると「嘘をつくのが嫌い」

日頃の鬱憤との葛藤を抜けて、出会えた恋人(あなた)には正直な態度で尽くしていきたい、という内容が歌詞に込められている。

7. LOVE IS ALL MUSIC

PVはスクリーンに映し出されたオーケストラをバックに、マエストロに扮した華原が歌うというものだった。

8. たのしくたのしくやさしくね
当時23歳 8枚目のシングル「たのしくたのしくやさしくね」は初の日本語タイトルであり、シングルでは初の小室と華原の共同作詞による楽曲である。

華原が当時小室を含めたスタッフの日々の大変さを見て「せめて私だけでも楽しく優しくしてあげたい、自分を含む周囲を和らげたい」という気持ちで手紙を書く要領で詞を書いた。

華原が厳選して小室に渡した後、引用してもらったのを聞いた際には「本当の意味でプロデューサーとアーティストの関係になれた」と嬉しさを話している。

しかし後に本人より「何もかもが悲しかった。だから、自分に『たのしく、たのしく』と言い聞かせながら歌っていた」と語られている。

この作品で4作連続の初登場1位を獲得した。しかし、この頃には華原と小室はかなりのすれ違いの生活を送っていた。当時小室は海外にいることも多かった。

2ndアルバム storytelling

タイトルは「物語の途中」という意味を込めている。

タイトルナンバーの「storytelling」は歌詞カードに詞が掲載されていたが、インストとして収録され、次作『nine cubes』でメロディーが付いて収録された。(歌詞をぜひ調べてみてください)

当初は1997年10月15日にリリースされる予定だったが、3度延期となって年末にずれ込み、最終的には12月24日にリリースされた。

延期した理由として、小室は「1997年のアーティストの動向を知りたかった」「安室奈美恵さんの事が落ち着くまで出したくなかった」「所属アーティストである華原さんと事務所社長である僕の間にマネジメント関係の人間が関与していなかった。喧嘩して1週間制作が延びたこともある」「『たのしく たのしく やさしくね』『Hate tell a lie』を中心に『割り切れない』『下らない』『葛藤』等歌詞を前作よりわかり難く表現し、自分のプライベートな気分・恋愛観が反映されている」と回答している。

小室と初のツーショットジャケットや手繋ぎ写真が盛り込まれるなど大きな話題となった。

しかし、11月には華原と小室がホテルの一室で救急車を呼ぶ騒動を起こしており、この頃から破局説が根強く流れ始める。

9. I WANNA GO

小室と華原の「普段離れている二人がどこかに行ってゆっくりしたい」という心境がそのまま詞になった。PVには小室が所有するフェラーリが使用されている。

10. YOU DON’T GIVE UP

1998年4月発売。プロデューサーの小室哲哉と交際当時にツーショットで共演するのはこの曲が最後となった。

97年6月から約1年に渡り、深夜に放映されてMCを務めた「TK MUSIC CLAMP」が98年4月に終了する。最終回のゲストは小室哲哉であり、ツーショットでの共演はこの頃が最後となった。

5月にORUMOKからワーナーミュージックジャパンに移籍した。当時の移籍金は20億以上と言われる。

11. tumblin’ dice

11枚目のシングル。オリコン初登場2位。新曲(シングルカットは除き)「save your dream」から続いていた初登場1位獲得記録はストップした。

tumblin’ diceとは「ダイス(サイコロ)を転がせ」という意味で、「いちかばちか勝負に出てみろよ」という意味がこめられている。

この頃、華原自身も小室との関係も急激に冷めていき、同棲していた大きな部屋に帰って来なくなる日々も多くなっていたという。

12. here we are

「tumblin’ dice」発売から1週間後に歌入れが始まった。前作からわずか1ヶ月半後に12枚目のシングルとして「here we are」が1998年7月29日発売した。

小室が朝起きたら、イントロからアウトロまで全て出来ていて、急いでピアノに向かって旋律とコード進行を確認した。

華原から「“I’m proud”を超える曲を歌いたい」と小室に頼まれていたため、その思いに応えることが出来てうれしかったと語っている。

発表当時「ここ2年で最もよく出来た曲であり、売れても売れなくても、本楽曲の質はこれからの自分にとって大切な基準」と称している。

華原は「この曲と出会って『作品として世に残ることの重大さ』を改めて考えさせられ、大切に歌った。小室さんから『本当に良い曲だ』と言われて、すごく嬉しかった」と話している。

13. daily news

当時24歳 1998年10月21日に13枚目のシングル「daily news」をリリース。初登場13位とTOP10入りを逃した。新曲としてはデビュー以来初めてであり、この頃から小室との不仲が報じられ、奇行が目立つようになる。

本人が夏に海に行ったことから生まれた曲であり、不景気な世の中を明るくしようというコンセプトの楽曲である。PVはイラストで描かれた街並みで戯れる映像。

その年にもっと順位の高かった曲があるにもかかわらず、何故か紅白には「dairy news」で出演する。

華原は、ある日いつも通りレコーディングでロサンゼルスにある小室さんのスタジオを訪れたのだが、(小室は複数のプロジェクトを同時進行していたため、スタジオには多くの人が出入りしていた)

周囲の雰囲気がいつもと変わっており、理由を伝えられないまま華原だけが移動しなければならなくなり、誰も何も教えてくれないまま、気がつけばひとりきりになっていたそうだ。

味気ない食事をして、ずっと小室を待っていたが、結局来てくれることはなくそのまま別れとなってしまった。

3rd アルバム nine cubes

1998年11月には3枚目のアルバム「nine cubes」が発売されるが、売上げは30万枚を割った。楽曲や歌声に関しても批判の声が多い作品である。

アルバムタイトルは、「最後のインストゥルメンタルを除いた9曲の小さな曲達」という意味で付けられた。

デビュー当初の華原を小室は「短距離選手」と捉えていたが、デビューから今まで取れるものは全部獲得してきた華原を見て「長距離ランナーになりかかっている、だから1回純粋な目線で立ち返ってみよう」というテーマを立てた。小室はそれを「色んな意味でこのアルバムは華原のリニューアルに近い」とコメントした。

前回のインスト『storytelling』にメロディーがついて収録されている。物語はつながっている。

12月には小室と破局し、一切連絡がとれなくなったという。

年末には突如長かったトレードマークの髪を自分で短く切り、3度目の紅白歌合戦で「daily news」を歌唱したのを最後に休養に入る。

1999年1月30日、自宅で料理中にガス中毒で倒れ緊急入院。

この時、初めて年明けから休養していたことと小室との破局が報じられ、翌1月31日には退院するも、一時は意識不明の重体であったことなどからテレビや週刊誌等で連日報道されるようになる。

この時、小室事務所は一切ノーコメントを貫き通した。

のちの番組で交際期間は2年くらいだったと明かした華原は、「別れて以降は路頭に迷うというか、全てが終わってしまったので、どうやって生きて行ったらいいんだろう?」「辛かったですね」と振り返った。

別れの理由について華原は「勝手に終わりました。別れ話とかしてない」と言い、「急に空気が変わって、マネージャーさんもいなくなって」と発言した。

「世の中から消えたいと思った」というほどショックを受け、この恋愛以降、芸能人とは付き合っていないという。

分からなかったんですよね、恋愛の仕方が。いつも自分でぐちゃぐちゃにして、相手も自分も傷つけて

あの恋愛は当時の私にとってはすべてだった。だから、それを失くした時にどうやって生きていいかが分からなくなってしまった

ほんとにぐっちゃぐちゃの色んなことがあって、ホントに思い出したくない、と思う時もありました

本当に、ほんとにダメな自分だったので初めは自分の今までリリースさせて頂いた曲を聞くのも本当につらかった

物語は続く 自分の足で立つシンデレラのお話

2013年FNS歌謡祭で1998年以来、華原は15年ぶりに元プロデューサーであり元恋人であった小室哲哉と再会し共演する。

「I’m proud」「I BELIEVE」を2曲力強く熱唱した後、最後には「今まで迷惑と心配ばかりかけてすみませんでした。これからは前を向いて歩いていけそうです」と謝罪と感謝の言葉を口にして握手した。

最後の握手については賛否両論あるが、自分の中でのケジメとしてどうしても必要だったと後にラジオで語った。

2015年、5月には小室哲哉が16年半ぶりに楽曲提供した「はじまりのうたが聴こえる」をリリース。

2019年5月4日、妊娠6か月で相手は外資系企業勤務の一般男性であることをファンクラブサイトで公表した。

8月30日、第1子男児の出産を報告。

やっぱり彼がいたから私であって、彼がいなかったら今の私はいない

こういう風になった私だからこそ『もう一度歌わせていただけないでしょうか』という気持ちになれた

自分の曲はほぼ毎日聞いていますが、改めて全曲聞いてみると本当にたくさんの素晴らしい曲があって、一曲一曲に思い出があって今はすごくすごく愛しく思えて感謝できるんです

「今、もし彼に会ったら何を話す?」
という質問に対して

『すいませんでした!』かな(笑)

フラれて悔しかったけど、今は『いい青春をありがとう』って思います

2017年小室哲哉がTVに出演し、自身がプロデュースした歌手の華原朋美に「シンデレラストーリー」を用意していたことを明かした。

この番組を視聴していた様子の華原はインスタグラムで、「わたしの過去は誰よりも幸せで誰よりも最高でした」と感謝を伝えている。

おまけ I’m proudでイメージしていた風と共に去りぬ】

主要登場人物

ケイティ・スカーレット・オハラ

彼女は気が強く、機敏で計算高く、貪欲なエゴイストで、極めて自己中心的な精神を持つが、決して困難には屈しないプライドと意志の強さも持っている。一度捕えると離さない動的な美貌の持ち主で、周りの男性からちやほやされて育った。しかし結婚して直ぐに夫が死に、更に南北戦争の敗戦後財産を全て失い波乱の人生を送る事となる。数字に強く、男性の心を掴む技術にも長けており、商才がある。実家の農園タラを心から愛している。

レット・バトラー

チャールストンの名家出身だが紳士的に振舞おうとせず、うわべの愛国心を装うことなく世間の反発をかう。スカーレット同様、計算高く、機敏で貪欲なエゴイストだが、彼女との違いは物事や人を的確に見抜く能力と上流社会の見せかけの偽善に対しての侮蔑心。名家らしからぬ奔放な言動で、父親から勘当され社交界からは締め出された。戦争が始まる前から南部の敗戦を予測し、軍隊には加わらず北軍の封鎖を破って商品を投機的に売り巨万の富を築き、戦後は莫大な公金を横領した海賊的紳士。スカーレットをアトランタからタラに送る途中に傷ついた少年兵を見て軍に志願する。しかし北軍に囚われる。実はスカーレットを愛しているが、なかなか本心は見せようとせず彼独特の方法で求婚し、スカーレットの二度の結婚を経たのちにやっと結ばれた。端正な容貌をしており、スカーレットは新婚旅行先での他の女性たちからの羨望の眼差しで、はじめてそのことに気付く。皮肉で傲慢な態度を見せるが意外にも子供には優しく、特にボニーのことは溺愛していた。最後にはスカーレットへの愛に疲れ、彼女の前から去る。

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