黒い羊の仮説 家族で1人だけ違う問題児の子

家族で自分1人だけが違うと感じたことはありますか?同じ環境で育ち、同じものを食べているのに、なぜか自分だけが群れから外れている感覚。白い羊たちの中に黒い羊が紛れているみたいに。

黒い羊の仮説

アメリカの精神医学者、ジョンソンとスズレクが提唱した概念です。

例えば、教育者、経営者、医者、国家公務員、宗教家など、社会のリーダーや聖職と言えるような人々の、一見すると非の打ち所のない家庭から、犯罪、非行、薬物中毒、売春などにかかわる「問題児」の子どもが生まれてくる現象がしばしば見られます。

この「問題児」の子供のことを、黒い羊と喩えています。

人は誰しも、清く、正しく、理性的で社会に迎合されるような部分の「仮面」(ペルソナ)と、暗く、情動的・衝動的・攻撃的な「影」(シャドウ)の部分を持っています。

そして、普通の人はこの両面をうまく妥協させて生きていますが、上のように極端に「立派で尊敬される」人々は、影を完全に抑圧して生きている場合があるのです。

このような両親が子どもを育てる時、表面的には社会的に好ましい行動をとるように教育していますが、どこか無意識の中で、子どもたちが衝動的、攻撃的、反社会的な行動をとることを暗に期待してしまうことになります。

子どもが二人いるような場合には、長男には自分のペルソナを投影して「良い子」に育て、次男には自分たちのシャドウを投影して「問題児」に育ててしまいます。

この場合の長男が善良な「白い羊」であり、次男が衝動的な「黒い羊」となります。

「黒い羊」となった子どもが、実際に、いたずら・非行・犯罪などの好ましくない行動をとった場合、その行為によって無意識的に「代理満足」を覚え、暗黙のうちにそれを奨励したり、容認することがあるといいます。

子どもの非行は、親たちが生きられなかった「影」の部分を発見したことになり、彼らの行動に共鳴してしまうのです。

こうして、子どもの非行はやむことがなく、医者の息子が犯罪者になったり、教育者の娘が薬物中毒になることがしばしば見られるのです。

このような概念が生まれる理由

私の考えとしては、ただ単にシャドウを投影するということではないと思います。立派な家庭でなくとも、同性の親と長子、同性の兄弟や・姉妹の性格が極端に違うことがよく見られるからです。

例えば、

◆自由奔放でメンタルが強い姉と、慎重で繊細な妹。

◆社交的でおしゃべりな父と、独立型で無表情な長男。

◆高身長で色白な姉と、低身長で色黒な妹。

◆勉強がとてもできる兄と、全く勉強ができない弟、

など、みなさんの周りにも真逆な親子・姉妹・兄弟が思い浮かびませんか?

しかし、このような概念ができたということは、仮説に出たようなエネルギーの強い家庭では、教育者と非行少年のような例のように、極端の振り幅がとても大きいのではないでしょうか。

それでは、なぜ極端に違うタイプになるのか考察してみましょう。

染色体の相同組替え

46本ある染色体のうち、半分は父親から、もう半分は母親から受け取ります。同じ両親から生まれた子供でも、その遺伝子の受け継ぎ方は違います。それで兄弟でも顔が変わってくるのです

異なる遺伝子の組み合わせを作り出すのに、DNAの交換反応である”相同組換え”が行われ、遺伝子をシャッフリングしています。相同組換えは父方、母方由来の2本の同じ染色体(あるいはDNA)が切断され、入れ換えられ、再結合する反応です。この作用により遺伝子の多様性を生み出しています。

兄弟・姉妹は、DNAの受け継ぎ方が違うのです。同じ環境で同じ育て方をしても、遺伝子的に違うのであれば、違う特徴や性格に育つのは当たり前ですね。

ある事件のケース

2007年に英国籍22歳の、英会話講師の女性が殺害された事件がありました。事件の犯人は、2年7ヶ月の逃亡の末、逮捕されました。

犯人の父親は脳外科医で、母親は歯科医、2つ上の姉も医師でした。黒い羊の仮説がよぎります。

犯人の生い立ちを見ると、小学校時代の成績は優秀、学年で1番足が早く、経済的にも恵まれており、両親を尊敬していて、将来の夢は医者でした。

しかし、4年連続で医学部受験に失敗。大きな挫折を味わいます。その後、千葉大学園芸学部緑地環境学科に入学、庭園のデザインについて学び、卒業しました。その後2年間英語を学びましたが、事件直前にあった試験に合格できず、両親は仕送りの停止を伝えていたそうです。精神的に追い詰められていた状況でした。

犯人は、医学部に受かるほどの頭の良さはありませんでした。脳機能的に理系が向いていなかったのかも知れません。しかし、空手は黒帯、絵の才能があり文才もあった。デザインに興味があり、英語も話せて、2年以上逃亡するようなエネルギーもありました。そしてそれらと共に、激しい感情の波も持ち合わせていました。

黒い羊というよりも、家族とは違う分野で活躍できる資質を持っていたのではないでしょうか。それを見抜く人物や、その激しい感情をうまく昇華できたら違う結末だったのかも知れません。

北野武さんのこのような言葉が思い出されます。

「人は、何か1つくらい誇れるものを持っている。なんでもいい、それを見つけなさい。勉強が駄目だったら、運動がある。両方駄目だったら、君には優しさがある。夢をもて、目的をもて、こんな言葉に騙されるな。何も無くていいんだ。

人は生まれて、生きて、死ぬ。これだけで大したもんだ。」

1人1人配られたカードは、いくら家族でもまるで違うのだと思います。学校で成績に評価されない良さだっていくらでもあります。優しさ、生真面目さ、ユーモア、メンタルの強さ、好奇心。それらを観察し、洞察する。たとえ周りと違くても、世間に惑わされる事なく。

以前、欅坂が「黒い羊」という曲をリリースしましたが、この概念からインスパイアされたのかも知れませんね。最後に歌詞の一節を紹介したいと思います。

白い羊なんて僕は絶対になりたくないんだ

そうなった瞬間に僕は僕じゃなくなってしまうよ

周りと違うそのことで誰かに迷惑かけたか?

髪の毛を染めろという大人は何が気に入らない?

反逆の象徴になるとでも思っているのか?

自分の色とは違うそれだけで厄介者か?

自らの真実を捨て白い羊のふりをする者よ

黒い羊を見つけ指を刺して笑うのか?

それなら僕はいつだって

それでも僕はいつだって

ここで悪目立ちしてよう

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする